2015年6月28日日曜日

武蔵小金井 東京たてもの園 20150628



せっかく雨も降らずだったこととリハビリのため、どこか面白そうなとこないかとネット検索、面白そうだったので武蔵小金井の「東京たてもの園」へ行ってきました。
一つを除きすべて本当の建物を移築しているのだそう!


小岩を11:00前に出発、武蔵小金井駅に12:04着、駅から1.9Km、約17分で小金井公園へ到着。




公園北西方に位置する「東京たてもの園」入口です。
旧光華殿といい、1940年に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために建築されたそう。




お昼は園内のお蕎麦屋さんでと考えていたけど、武蔵小金井駅ビルで行列ができていたおむすび権兵衛さんでおにぎりと田舎煮を購入、小金井公園でいただきました。




それでは園内の建物です。
三井八郎右衛門邸と庭の様子です。
外観も立派ですが、中もなかなか(ほんとはかなり)立派でした。















江戸時代中期に今の世田谷区岡本三丁目に建てられた綱島家(農家)です。
室内は煙もうもう、ボランティアの方にお聞きしたところ、この煙が虫除けと建物の老朽化を防いでおり、実際も炭火ではなく薪だったとのことでした。




江戸時代後期に建てられた農家(名主役を務めた吉野家)。
こちらも囲炉裏で火を熾していて、ボランティアの方よりお茶をご馳走になりました。
ずっとここにいたくなりました。




 



 

近代建築の発展に貢献した前川國男氏の邸で、1942年に品川区上大崎に建てられたもの。
真ん中に吹き抜けの居間がある解放感あふれる邸です。




旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)。
三代将軍家光の側室お振りの方のために、その娘である旧尾張藩主徳川光友の正室千代姫が建立、日光東照宮建築にかかわった幕府作事方大棟梁甲良氏がかかわっているそう。
素人でもそうかなとわかりますね。




高橋是清邸の主屋部分です。
2階は1936年2・26事件の現場です!
こちらでおトイレお借りしました(・_・;)
(1902年港区赤坂)




庭園は是清邸の庭園の一部を復元しています。




旧宇和島藩伊達家が大正時代に建てた屋敷の表門です。
(港区白金二丁目)




町や街(下町)にきました。
武居三省堂(たけいさんせいどう)です。
文具店ですが当初は書道用品卸だったよう。
神田須田町にて昭和2年築、書物の三省堂(さんせいどう)とは何かしら関係があるのでしょうか?




大和屋本店(乾物店)の一角(昭和3年港区白金台にて築)。
このたばこの店構え、幼少期によく見かけてました。




居酒屋の鍵屋さん(1856年台東区下谷二丁目)。
中の調度品は復元です。












子宝湯(足立区千住元町1929年築)。
東京の銭湯を代表する建物。




手前が荒物屋の丸二商店(昭和初期、神田神保町)、奥は連棟式の借家が並んでいますが、こちらも幼少期にみた景色、風情がありますね。




約2時間半かけ、江戸~昭和初期までの建物全30棟を見学しました。
一見の価値ありでした!

2015年6月27日土曜日

脾臓摘出に関するご報告 20150627

前回記した脾臓摘出術の病理結果を27日にK林先生よりいただきました。

腫瘍は良性のSANTとのことでした。

K子先生より「7月14日の次回診察時に病理の結果もお知らせしますが、もし悪性だったら電話しますね」と聞いていたので、K林先生から連絡をいただいた時は一瞬ビビりました。

しかし、K林先生のノホホンとした口調を聞いた瞬間、「無事やったな」と確信しましたよ(^o^)

脾臓を摘出すると血栓になりやすい(血液が固まりやすくなる)ため、「バイアスピリン」という薬を3ヶ月間服用します。

ところが退院後1週間診療時のCTで血栓の兆候が少し見られるとのことで、もう1種類の薬を服用することになりました。

手術は無事成功、退院後の経過も良好、病理結果も問題なしであったこと、先生、看護師をはじめ、お気遣いいただきました皆様には本当に感謝いたします。
ありがとうございました!

2015年6月20日土曜日

脾臓摘出術 20150603




実は6月3日に脾臓摘出術を受けてきました。

未だ復職しておらず、職場の皆様には大変ご迷惑をおかけしておりますこと、まずもって深くお詫び申し上げます。


ちょっと長くなりますが、手術に至る経緯を記します。

昨年6月に受診した会社の人間ドックで脾臓に異常が見つかり、幾度かの精密検査(CT、MRI等)を経て摘出するに至りました。
精密検査は以前大腸ポリープ(再検査)を摘出してくださったT都B教病院で受診。

昨年12月のMRI(9月のCT検査に次ぐ2回目の)検査時点では「形が真ん丸できれい」とのことで良性腫瘍である「過誤腫」との診断、以後経過観察していくこととなりました。

しかし今年3月のダイナミックMRI検査時に、その腫瘍が半年で約1.5倍になったことから『「過誤腫」とは断定できない』となり、これ以上の診断についてはT大病院で、となりました。

脾臓は腫瘍部分のみ切除ができない臓器(血の塊り)で、また組織検査もできないため、腫瘍ができた場合経過観察か全摘のいずれかしか道がありません。

4月末にようやく予約が取れ、会社に午前半休をいただき紹介状とCT・MRI画像入りDVDを持ってT大病院へ行ってまいりました。

最初の診察は肝胆膵外科のK土教授、『短期間で大きくなっているので、う~ん、切った方がいいとは思いますが、肝胆膵外科としてもよく協議してみます」とのこと。
この時に採血と胸部・下部レントゲン検査をしたかも。

2回目の診察は若きK林先生(以降私の主治医となっていただきました)。
「SANTとというまだ症例が少ない珍しい腫瘍の可能性が高い(これまでの症例では良性のもの)が、短期間で肥大化していてこれは良性の腫瘍の特徴ではなく、また、破裂することも考えられ、悪性だった場合は取り返しがつかなくなることも懸念されます。よって肝胆膵外科や放射線の医師・技士みんなの一致した意見としてやはり手術して摘出した方がいい」とのこと(・_・;)

手術か経過観察か考えてくださいとのことで、結論は保留にさせてもらいました。

また、脾臓の肉腫は稀で他の臓器からの転移もほとんどないとのことでしたが、念のため他の臓器等を調べましょう(疑われる症例は全て潰す)とのことで、胃カメラ検査を受けて帰りました(このときに採血とレントゲン検査をしたっけ?)。

3度目、他所の検査は全て問題なし。
肥大化はやはり恐ろしく、家内とも相談し手術をお願いするに至りました<(`^´)>


ここからは入院~手術~退院~現在までを記します。

6月2日(火) 入院
二人部屋で同室の方はこれまで胃、腸、肝臓などがん手術をしていて、今回また手術を受けたというおじいさん、自分のことはさておいて早くお元気になられますようにと祈るばかり。

さて、今回の手術にあたり嫌なことは、術後お腹が痛くなることは勿論ですが、最も嫌なことは「下の〇剃り」と「浣〇」と術後歩けるまでの「大〇」でした。

午後家内が到着、二人で執刀医のK子先生の手術前のお話を聞きました。
診察の段階では開腹手術の予定と聞いてましたが、腹腔鏡手術とのこと、摘出方法や考えられる症例等懇切丁寧に教えていただきました。

その後家内は病室の荷物整理をして小岩の単身赴任宅へと帰っていきました。

手術に備えてシャワーを浴びました。
新しい手術のスタイルは水を飲んでやるとのことで、1時間ほどかけてゆっくりと指定の液体を飲みましたが、これはどうも下剤のようで夜中に何度もトイレへ駆け込んだのです。

6月3日(水) 手術当日
T字帯(手術用のふんどし!)と手術着を着て待ちます。
朝8:00(30だったか?)、K林先生がお迎えにきてくださり、家内とK林先生、看護師と連れだって病室を出発、地下(だったかな?)の手術室へ向かいました。

「下の〇剃り」と「浣〇」はなかった。よかったです(>_<)

手術室前で家内と別れ中へ。
たくさんの看護師や麻酔医師に囲まれ、「お名前をおっしゃってください」、「今日はどこを手術するかわかりますか?」等同じ質問を何度もされました。

みなさん相当な美人さんで、その後連れだって手術室へ入りましたが、なんか自分が王様(主役、いやまさに主役ですね)になったような錯覚に陥りました。

さすが高度先進医療、日本最高学府の附属病院、手術室はまさにチームバチスタの世界、最新(と思われる)機器が一面にあります。

なお、この手術はT大医学生が見学されました(許可済)。

手術台に横たわりました。
横を向き背中一面を消毒され針を刺されます。ちょっと痛い。
左腕にも刺されました。
最後は鼻と口にマスクをかぶせられ、「眠くなるときは言いますね」と言われる。

「はい、そろそろ眠くなりますよ~」と言われた瞬間寝ました。



なんか周りが騒がしく(〇〇さーん、〇〇さーんと呼ばれているような)、目が覚めました。
時刻は12:30すぎ頃、約4時間の手術でした。
「あー今夢みてた」と言ったことを覚えています。

「目覚めがいいですねぇ」と言われながらICUへ。

身体は「尿道カテーテル」、「背中の痛み止め針」、「腕の点滴」、手術箇所の余分な体液や血を出す「ドレーン」、心電図、足は血栓を防ぐための足モミ器(気持ち良かった)が着けられておりました((+_+))

ほどなくしてK子先生、K林先生が来られ、摘出した脾臓の写真を見せてくださいました。
ありゃ!?もう腫瘍部分がハミ出しそう!って感じ。また色が白っぽく嫌な感じでした(+o+)

家内と神戸から駆けつけてくれた実姉の二人は摘出した腫瘍の現物を見ていました。
K子先生が嬉しそうにやってきて「それではいいですか?いち、にーの、さん!」といって布をめくって見せてくださったそう。


6月4日(木) 術後1日目、ICUから一般病棟へ
予定通りICUは1泊で退出となり、一般病棟へ行く前に体の清拭をしていただきました。

男性と女性の看護師2名で左右から熱いタオルで拭いてくださいました。

〇部も男性看護師が丁寧に洗ってくださいました。
この頃にはもう恥ずかしいとかはありませんでした(+o+)

この日少し歩いたかな。
お宅系マンガの主人公のようなかわいい看護師に付き添われ、50mほど離れた食堂まで歩きました。
痛みがありお腹をやや丸める感じで、とぼとぼとお年寄りのように歩きました。

6月5日(金) 術後2日目、歩行と食事開始
食事はこの日の夕食からだったかな。7割くらい食しました。

また、カテーテル、ドレーン、点滴も外しました。

K林先生がドレーンを抜いてくださいましたが、「抜くときちょっと気持ち悪いですがすぐですよ」とおっしゃったとおりでした。

カテーテルは看護師のK沢さんが抜いてくれましたが、あまりにも痛くて大声を上げてしまいました(・_・;)
同室(4人部屋)の皆さんスミマセンでした。


寝返りも打てずまだちょっと苦しい1日でした。

6月6日(土) 術後3日目
朝食です。
完食し看護師さんたちに呆れられました。
味が薄くても美味しいゼリーでした。


この日からおならと大〇が始まり順調な仕上がりになってきました(汚くてすみません)。
お酒も飲まず健康食なため、何年ぶりになるだろうかというくらいきれいな大〇でした(重ねて汚くてすみません)。

背中の痛みどめの針を抜き、シャワーを浴びました。
頭が臭く、枕が酸いくてたまらんかったが気持ち良かった!
ただでさえ少ないのに髪がようさん抜けとりました(T_T)

この日の夕食です。
どれも薄味だけど種類が多くて美味しい!

6月7日(日) 術後4日目
この日より食堂へ出向いて食事を摂りはじめました。
上野不忍池、上野公園、かなたにスカイツリーが見えます。


7日夕食の献立。
深川飯だったか、美味しかった。
酢の物、野菜もあってバランスが大事だとあらためて思いました。
 
 
6月9日(火) 退院
日に日に回復していくのがわかりました。
まずはここまで順調に経過しており、先生よくぞ無事手術をしてくださいました!本当にありがとうございました。
看護師の皆さまにも大変お世話になりました。

大学病院なので医師も看護師もデカい態度なのかと思いきや、これじゃ文句のつけようもないほど最高の接客(対応)でした!


6月10日(水)以降
退院翌日よりリハビリのため家内と毎日都内を出掛けまくり、おかげさまで腹の痛みは日を追うごとに薄れてきております。

6月14日(日)
痛み止め服用を止めましたが、腹より最後に治療(失敗)した右下手前の歯が痛みだす始末でした(+o+)

6月15日(月)
歯の治療のため歯医者へ。
院長先生は治療が上手(>_<)

6月16日(火)
退院1週間後診療のため病院へ。

K子先生診察、診察前の採血の結果は問題無し。
病理の結果は1か月くらいかかりそうとのこと、まず問題ないだろうと笑いながら軽くおっしゃられる(・_・;)
あるとしたら肉腫だが万一そうだったとしても摘出済のため通院による放射線治療をして経過観察するくらいとのこと。

6月17日(水) 家内帰宅

家内を東京駅まで見送り、築地寿司清さんにて手術成功と無事退院を祝し軽く乾杯!
久しぶりに美味しいお寿司をいただきました。


家内はその後子どもと白文鳥雪子さんが待つ名古屋へ帰っていきました!


さて、小岩の単身赴任宅です。

ガス回りやトイレ、風呂場など掃除してきれいにして入院したつもりでしたが、家内に言わせるとよくこんな汚い状態で過ごしてたなと。これが病気の原因だとまで(*_*;

水回りから押入れまですべて掃除してくれてとてもきれいになり、退院後たくさんのゴミを捨て室内の床のモノが全てなくなりました。

また、風水の気が悪いとのことで、サンスベリアバキュラリス(左)とシェフレラ(右)という観葉植物、水晶を買ってくれました。
何から何までやってくれてどうもありがとね!


23日火曜日から会社復帰となりました。
ただし、時短勤務が続きます。
引き続き会社の皆さんにご迷惑をおかけすることとなりとても心苦しい限りですが、どうぞよろしくお願いいたします!