2017年9月16日土曜日

名古屋歴史まち歩き 20170903

September 3 , i went for a walk to the town tachibana city nagoya pref aichi.
 
北岳のショックから癒えず、前日2日の土曜日は殆ど家で過ごしてしまったため、この日は山にはいく気がなかったけど、健康のためウォーキングに行くことにしました。
 
図書館に寄ってから鶴舞公園を散策、その後名古屋市のHPに掲載されている「やっとかめ文化祭、歴史まち歩き」のNo10コース、「ここから城下町 橘」を歩くことにしました(*^^)v
 
まずは鶴舞公園の花だよりです。 



パンパスグラス(シロガネヨシ)です。


スイフヨウの大輪。


鶴舞公園からコーススタート地点の東別院へ。


まずは東別院ですが、隣接の東別院ホールでは「幸福は日々の中に」という鹿児島市にある知的障害者施設の日々を描いたドキュメンタリー映画が催されるようで、大勢の方が並んでいらっしゃいました。


東別院山門です。


本堂。
正式名称は「真宗大谷派名古屋別院」といい、古くから御坊さんと呼ばれて親しまれてきたとのこと(東別院HPより)。


境内南西角に古渡城址妃があります。
東別院は信長の父信秀の居城であった古渡城の旧跡と伝えられており、信長はこの地で元服の式を挙げたそう。




東別院の西に隣接したところに名古屋芝居濫觴跡があります。
今は愛知産業大学の建物があります。


崇覚寺を通って更に西へ。
こちらも真宗大谷派のお寺で歴史があるようです。
以下崇覚寺HPより引用させていただきました。
正式には長嶋山崇覚寺(ちょうとうざん そうがくじ)といいます。崇覚寺は400年ほど前に現在の三重県桑名市長島町のあたりに建立されたことから長嶋山という山号がついています。崇覚寺という名称の意味は「崇」という漢字は山を仰ぎ見るという形が示す通り高くそびえるもの尊ぶという意味で、「覚」とはお釈迦様のお悟を示す漢字です。すなわちお釈迦様の悟りを崇めるお寺という意味です。


続いて東別院北側にあるおためし場腑分けの跡。
おどろおどろしい場所だったんですねぇ|д゚)


東別院は別名お東さんと呼ばれています。で、東別院が別法人として運営する幼稚園の名前がこちらなのです<(`^´)>


続いて栄国寺です。
こちらは浄土宗のお寺ですが、切支丹を弔う千人塚があります。
尾張初代藩主の徳川義直、二代目光友ともに切支丹に寛容であったと伝えられていますが、やがて幕府の意向で弾圧が始まり、尾張藩内でキリシタンの伝道に携わった者の処刑がこの地で行われたことから、後に石の供養塔が建てられたとのこと。




橘町交差点まで来ました。



橘町交差点北すぐにあるうどん屋さん。
すごい名前のきしめん!


続いて日置神社。
1560年5月、信長が桶狭間の戦いに出陣するとき、戦勝を祈願したと伝えられています(熱田神宮に詣でたと伝えられている方がメジャーな情報です(''_''))。





仏壇街を西へ折れたところに西本願寺(西別院)があります。




最後は大須観音。賑わってました!




大須商店街も大勢の人!


通ってきた仏壇街です。
 
 
清州越しの大移動で武家や町人だけでなく、寺社も移されましたが、寺社は武器の備蓄や要員の隠れ家として広大な寺領を軍事的に活用する目論見があったとのこと。
この名古屋城から南のエリアは南寺町と総称、敵に攻め込まれやすい東と南の平野部に宗派別に寺社が集団配置され、また、熱田に通じる街道を守る拠点となっていたとのことです。
 
約7Km、11千歩ほどのお散歩でした(^^)/

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